
川上忠智(かわかみ ただとも)は、日本の戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将で、島津氏の家臣として知られています。彼の生年は不明ですが、慶長12年(1607年)3月14日に病死しました。
経歴
川上忠智は、父・川上忠興の子として生まれ、島津義弘の家老を務めました。彼は日向国高鍋、大隅国栗野、薩摩国馬越、大隅国蒲生などの地頭職を歴任しました。特に、元亀3年(1572年)の木崎原の戦いでは、義弘の正室と嫡子の鶴寿丸が住む加久藤城の城代を務め、伊東氏の軍勢を撃退する功績を挙げました。
その後、天正6年(1578年)には、伊東氏の財部城主が島津家に寝返った際に、忠智は財部城主に任命されました。さらに、天正12年(1584年)の沖田畷の戦いでは、肥前国の龍造寺氏と戦い、彼の嫡子・忠堅が龍造寺隆信を討ち取る大功を挙げました。
家族
川上忠智の妻は春成久正の娘であり、彼には忠堅、忠兄、久智という子供がいました。彼の家族は、島津氏の家臣としての地位を引き継ぎ、武士としての名声を保ちました。
川上忠智は、戦国時代の日本における重要な武将の一人であり、彼の業績は今でも評価されています。
川上忠智
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